2011年7月14日発売 大人のエステ本に掲載!
突撃!エステな仕掛け人 インタビュー
やり手風俗コーディネーターが見せられたエステという世界、
それは非常に奥深いものだった
デリヘルやホテヘルの経営に携わり成功を収めた後に、
新規店のオーナーなどに請われて、他店のプロデュースを行うようになった松田遊人氏。
そこでも成功を収めていくうちに、風俗コーディネーターとしての知名度を確立していった氏が、
「大阪ビザールクリニック」を立ち上げて、 エステ業界へと参入していった訳とは?
キーワードは睾丸マッサージ
遡る事、3年と3ヶ月前。新たなお店の立ち上げを目前に控えていた松田遊人氏は、
ずっと頭の中で温めていたプランを実行に移すことになる。
「新しいお店をやるうえで、3つほど試したいことがあったんです。
まずは、タイ古式マッサージなどで行う睾丸マッサージを風俗サービスに取り入れて
みたらおもしろいんじゃないのかということ。
次に、当時、仕事終わりによくサウナに通っていたんですが、
そこでマッサージを受けているうちに、 なんだかたまらない気分になっちゃって…。
簡単に言うと、アソコが元気になってしまったんですよ(笑)、
性的サービスを受けた訳でもないのに。
それでその後に早朝営業をやっているヘルスにヌキに行ったんです。
で、マッサージとヌキが1つのお店で出来たらお得やなぁと。後は 自分の風俗体験から、
『なんでお客さんが動かなきゃいけないんだよ。
マグロ状態でいてヌケる方が楽だし嬉しいやん』という思い。
そんな訳で、3つの要素を満たしているエステ店を立ち上げることにしました」
プレッシャーとの戦い
かくして風俗エステ「大阪ビザールクリニック」を出店することを決意した松田氏だが、
当時すでに風俗コーディネーターとしてだけでなく、
全国誌等でも活躍する風俗ライターとして名前が売れていただけに、
周囲の期待や注目もハンパではなかった。
「その時は、ホテルヘルス全盛期ということもあり、
エステ自体があまりメジャーじゃなかったんですよね。なので、本当に大丈夫なの?
っていう意見をかなり耳にしました。
それに、今まで僕に関わってくれた人たちや、僕を認めてくれた人たち、
もちろんお世話になった人たちに、 恥をかかす訳にはいけない、
自分はこの道のプロなんだからっていう思いがあってしばらくの間は全然眠れなかったですね」
というように、かなりのプレッシャーや覚悟があったようだ。
実際、オープン直後は、PCの掲示板に心無い書き込みがされるなどして、
さらに神経をすり減らす日々。
しかし、そこは長年この業界に携わってきた氏の”感性”とでもいうべきか、
お店は順風満帆なスタートを切る。普通ならば胸をほっと撫で下ろすところだが…。
「全然納得できませんでしたよ。やるからには、
とことん本格的なマッサージとヌキが楽しめるお店を作り上げたかったですから」
という思いから、最も女手を必要とするオープン直後から、
心を鬼にして厳しい面接を行い、選び抜いた女性だけを採用することに。
「面接のときは、女のコに対して、そう簡単にお金は稼げるもんじゃないということと、
このお仕事の厳しさもはっきり伝えています。
でもね、 結局はそれが女のコの為にもなるし、ひいてはお客さんの為にもなる。
もちろん、一生懸命頑張る女のコは全力でバックアップしますよ。
まずは僕をはじめとするスタッフ全員が同じ方向を向いていかなきゃいけないと思ったんです」
また、風俗コーディネーターやライター業を通じて知り合った幅広い人脈を生かし、
タイ古式、アロマセラピスト、按摩の達人等を頻繁に指導員に迎え、 講習を行い、
在籍セラピストのテクニック向上を図り続けた。
しかも、講習は行うがマニュアル化していないのも特徴的で、
「女のコの体型や骨格によってマッサージの仕方、やりやすさも変わってくるし、
お客さんによって施術内容は変えていかなければいけないので、
通り一偏等のやり方じゃ通じないんですよね」
仕事にかける熱い思い…、次第に氏のやり方に賛同する女性スタッフが集結し始め、
有資格者も在籍する非常に質の高い施術が評判を呼ぶお店へと成長。
開業3年にして見事、人気店の仲間入りを果たした。
醒めることのないエステ愛
そんなふうに、エステに対して誰よりも熱い思い、こだわりを持つ氏。
「エステって本当に奥が深いし、まだまだ発展途上の部分が多いんですよね。
ですから、私たちお店側の人間がしっかりとした受け皿を作って、
もっともっと業界自体を盛り上げていきたいです。
そして、1人でも多くの方にエステでしか味わえない素晴らしさを知ってもらいたいです」
と、さらなる向上心を持って業務に望んでいる。
最後に、松田遊人氏にエステとはという質問をぶつけてみると、
「いろんな遊びを経験した人が最後に行き着く究極の風俗ですね」とのこと。
風俗を知り尽くした男の、非常に含蓄に富んだ言葉である。
松田遊人 昭和43年大阪府生まれ
長年に渡り、コーディネーター、ライター、オーナーとして風俗に携わり、
表も裏も知り尽くした生き字引的存在。
突撃!エステな仕掛け人 インタビュー
やり手風俗コーディネーターが見せられたエステという世界、
それは非常に奥深いものだった
デリヘルやホテヘルの経営に携わり成功を収めた後に、
新規店のオーナーなどに請われて、他店のプロデュースを行うようになった松田遊人氏。
そこでも成功を収めていくうちに、風俗コーディネーターとしての知名度を確立していった氏が、
「大阪ビザールクリニック」を立ち上げて、 エステ業界へと参入していった訳とは?
キーワードは睾丸マッサージ
遡る事、3年と3ヶ月前。新たなお店の立ち上げを目前に控えていた松田遊人氏は、
ずっと頭の中で温めていたプランを実行に移すことになる。
「新しいお店をやるうえで、3つほど試したいことがあったんです。
まずは、タイ古式マッサージなどで行う睾丸マッサージを風俗サービスに取り入れて
みたらおもしろいんじゃないのかということ。
次に、当時、仕事終わりによくサウナに通っていたんですが、
そこでマッサージを受けているうちに、 なんだかたまらない気分になっちゃって…。
簡単に言うと、アソコが元気になってしまったんですよ(笑)、
性的サービスを受けた訳でもないのに。
それでその後に早朝営業をやっているヘルスにヌキに行ったんです。
で、マッサージとヌキが1つのお店で出来たらお得やなぁと。後は 自分の風俗体験から、
『なんでお客さんが動かなきゃいけないんだよ。
マグロ状態でいてヌケる方が楽だし嬉しいやん』という思い。
そんな訳で、3つの要素を満たしているエステ店を立ち上げることにしました」
プレッシャーとの戦い
かくして風俗エステ「大阪ビザールクリニック」を出店することを決意した松田氏だが、
当時すでに風俗コーディネーターとしてだけでなく、
全国誌等でも活躍する風俗ライターとして名前が売れていただけに、
周囲の期待や注目もハンパではなかった。
「その時は、ホテルヘルス全盛期ということもあり、
エステ自体があまりメジャーじゃなかったんですよね。なので、本当に大丈夫なの?
っていう意見をかなり耳にしました。
それに、今まで僕に関わってくれた人たちや、僕を認めてくれた人たち、
もちろんお世話になった人たちに、 恥をかかす訳にはいけない、
自分はこの道のプロなんだからっていう思いがあってしばらくの間は全然眠れなかったですね」
というように、かなりのプレッシャーや覚悟があったようだ。
実際、オープン直後は、PCの掲示板に心無い書き込みがされるなどして、
さらに神経をすり減らす日々。
しかし、そこは長年この業界に携わってきた氏の”感性”とでもいうべきか、
お店は順風満帆なスタートを切る。普通ならば胸をほっと撫で下ろすところだが…。
「全然納得できませんでしたよ。やるからには、
とことん本格的なマッサージとヌキが楽しめるお店を作り上げたかったですから」
という思いから、最も女手を必要とするオープン直後から、
心を鬼にして厳しい面接を行い、選び抜いた女性だけを採用することに。
「面接のときは、女のコに対して、そう簡単にお金は稼げるもんじゃないということと、
このお仕事の厳しさもはっきり伝えています。
でもね、 結局はそれが女のコの為にもなるし、ひいてはお客さんの為にもなる。
もちろん、一生懸命頑張る女のコは全力でバックアップしますよ。
まずは僕をはじめとするスタッフ全員が同じ方向を向いていかなきゃいけないと思ったんです」
また、風俗コーディネーターやライター業を通じて知り合った幅広い人脈を生かし、
タイ古式、アロマセラピスト、按摩の達人等を頻繁に指導員に迎え、 講習を行い、
在籍セラピストのテクニック向上を図り続けた。
しかも、講習は行うがマニュアル化していないのも特徴的で、
「女のコの体型や骨格によってマッサージの仕方、やりやすさも変わってくるし、
お客さんによって施術内容は変えていかなければいけないので、
通り一偏等のやり方じゃ通じないんですよね」
仕事にかける熱い思い…、次第に氏のやり方に賛同する女性スタッフが集結し始め、
有資格者も在籍する非常に質の高い施術が評判を呼ぶお店へと成長。
開業3年にして見事、人気店の仲間入りを果たした。
醒めることのないエステ愛
そんなふうに、エステに対して誰よりも熱い思い、こだわりを持つ氏。
「エステって本当に奥が深いし、まだまだ発展途上の部分が多いんですよね。
ですから、私たちお店側の人間がしっかりとした受け皿を作って、
もっともっと業界自体を盛り上げていきたいです。
そして、1人でも多くの方にエステでしか味わえない素晴らしさを知ってもらいたいです」
と、さらなる向上心を持って業務に望んでいる。
最後に、松田遊人氏にエステとはという質問をぶつけてみると、
「いろんな遊びを経験した人が最後に行き着く究極の風俗ですね」とのこと。
風俗を知り尽くした男の、非常に含蓄に富んだ言葉である。
松田遊人 昭和43年大阪府生まれ
長年に渡り、コーディネーター、ライター、オーナーとして風俗に携わり、
表も裏も知り尽くした生き字引的存在。